子どもに時間をかけたくない親たち。宿題・週休6日復活・PTAとボランティアを通して思うこと

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子育て

先日、私は「小中学校教員と、保護者の交流会」なるものに参加してきた。ざっくりとしたテーマを投げられ、保護者と教員が意見を交換し合うという内容の会だ。

そこで見えてきたのは「本当に子どもを大切に思うって、どういうことなんだろう?」ということ。 筆者は個人的に「自分の自由や気力を投げうっても、子どものことを知ろう」「貴重な時間を削っても、子どもと関わろう」とすることなのだと思う。

宿題をなくし、学校への登校を週6日へ……?

交流会では、今教育委員会で検討されていることや、ニュースなどで世間が話題にしている教育問題をテーマに話が盛り上がった。教員4名、保護者は私を含めた2人、計6人であった。

 

まず最初に話題にのぼったのは「学校への登校を週6日に戻す」という案が一部で上がっているということについてだった。ゆとり教育の一環として、土曜日の午前中の授業は筆者が小学生のときに取りやめとなった。それが今、復活させてもいいのではないかという話が教育委員会でも出ているとのこと。

しかし、教員の本音としては「これ以上負担が増えるのは正直つらい」といったところだそうだ。この意見は当然であると思う。中学2年生の担任をしているというベテラン女性教師は「現に今、夏休みや冬休みなど、長期休暇で子どもが家にいると困るという保護者の声も多くて」と嘆いていた。確かに、長期間子どもと1日中一緒に過ごすのは大変だという感覚がある人は多いはずだし、筆者も楽ではないと思っている。長期休暇の前には覚悟を決めるような感覚すらある。

土日を家庭で有意義に過ごせていない児童も多いのも理由だという。

さらに「宿題をなくそうというという考えが、一部の学校関係者から出ているらしいです。どう思いますか?」と問題提起する保護者がいた。

調べてみると、1日1~2時間の宿題を毎日やったところで、学習能力の向上にはつながらないという研究結果が出たという記事や、夏休みの宿題というのはもはや時代の流れにそぐわないという意見を述べる教員の記事がヒットする。

 

私は正直言って、これは学習や学校云々の問題ではなく「家庭や親個人の意識の問題」でしかないと感じた。

これは学校の教員が、頭を抱えることではない。

子どもの学習や面倒を見るのは、親の仕事のひとつである。確かに、家庭環境は人それぞれで大きな差があるため、子どもにかけられる時間や手間にはバラつきがある。適応できる家庭ばかりではない。シングルマザーの家庭、兄弟が多くてひとりひとりを見きれない家庭、夫婦間で連携がとりにくい家庭、ダブルケアの事情を抱える家庭も増えている。それはじゅうぶんに理解している。

しかし、一部の声に合わせて、全体を変える必要はないと個人的に思う。

たとえば、本当に状況的に厳しくて宿題や休日の子供の面倒を見れない家庭ばかりではない。子どもを見ようとしない親、子どもと接するのが面倒、自分の時間を奪われたくない、ただただかったるいだけという「怠慢」な動機からも、それに賛同する人は多いはずだ。むしろ、そうした怠慢な親たちの方が気安く賛同するに違いないとも思う。

宿題をやる、やらないも、本来自由だ。「できる範囲で見てあげてほしい」という希望であり、それは子どもと親自身のために教師が言っていることである。ときに「できていない」ことを大きく問題化したり、贔屓(ひいき)したりする教師もいるが、それもまた教師個人の意識の問題だ。学校全体、教育関係者全体の問題とひとくくりにしてはいけないと、強く思った。

交流したメンバーの中で最年少であろう新任の男性教師は「宿題を通して、親子関係も把握している」と話していた。たとえば、まったく関心がない家庭もあれば、見落としや行き届かない部分はあっても、余裕があれば宿題に目を通したり付き添ったりしている家庭もある。反対に、いつも抜かりなくチェックしている家庭……いろいろなパターンがある。それも、子どもとその保護者の少ない情報源のひとつだという。

筆者自身、息子の宿題をすべてチェックしきれていない。高学年になってからは、半分程度は本人の自主性に任せているが、やはりサボりたい、手を抜きたい気持ちから、疎かにしていることも多いものだ。「自主性に任せる」という言葉に甘えて、まったくの無頓着にしてはいけないと思い、ときどきはチェックするようにしているという現状がある。

ただ、忙しさにかまけていると、どうしても見過ごすことが増える。子どもが学習でつまづいていても、気づけない。学習のづまずきが、他の活動の意欲までもを奪い、学校に行くこと自体が億劫になることもある。宿題への取り組みは、子どもの学校生活の安定のサインでもあると私は考えているのだ。

家庭環境には、大きな格差がある。それはしかたがないことだ。しかしそれを「大変だからなくす」「親も忙しいからなくす」と、すべてゼロにしたり、一本化するのはあまりにも極端すぎるのではないかと思う。

親の仕事と、教師の仕事の境界線が薄くなっている

確かに土曜日の午前中だけでも授業をするようになったら、今より全国の小中学生の学力は上がるのかもしれない。家でゲームや動画ばかり見ているのなら、少しでも活動をしたほうがいいのかもしれない。

しかし、休日の過ごし方は家庭に委ねられて当然ではないだろうか。仮に、子どもが留守番をするようなことがあっても、それは家庭の都合である。宿題を見るのが無理でも、子どもの状況を把握しきれなくても、それは家庭の問題だ。完璧にできている人など一握りであって、各々の家庭が「自分たちの家庭の精一杯」のラインでやっていくべきことなのだと思う。

ましてや「子どもが家にいると大変だから、学校に行ってもらえれば助かる」という安易な理由だとしたら、もはやそれを学校側が議論しても何の意味もない。

では、ボランティアを募って土曜日にコミュニティスクール的に、学校活動をしたらどうかという案も出たし、私もそれは賛成できると思った。しかし、現状PTA活動ですら多くの保護者が嫌がって廃止を訴えている中、土曜日のボランティア運営などとてもじゃないけれど現実的とは思えない。

みんな「めんどうなことはしたくない」からだ。

めんどうなことはしたくない。余計な仕事はみんな教師がやるべきと思ってしまう。大事な生き方、お金の使い方、人生の切り開き方まで「学校で教えるべき!」と豪語する人があまりに多い。 学校は勉強と、友達関係、最低限の社会性を見に付ける場所であり、子ども自身を育て管理するのは家庭の役割である。

それを「めんどうなので学校にお願いしたい」となると、もうそれはなぜ子どもを設けたか……というところまで話がいってしまうのでまるで解決策が浮かばないのである。

PTAやボランティアなんて必要ない?

PTAやボランティアはなぜ存在するのか、多くの保護者が疑問を呈している。しかし筆者は、個人的にPTA活動も、ボランティア活動も、ないよりはあったほうがいいものだと思っている。

それは「地域ぐるみで子どもを育てる」ということが、本当に大切なことだと思うからだ。

子どもは、家庭と学校だけで生きているわけではない。友達やその親、近所のおじいちゃんおばあちゃん、すべての人と関わって生きている。関わってなどいない、と思う人もいるかもしれないが、実は関わっているのだ。

親が知っている子どもの行動なんて、ほんの一部でしかない。知らないところで近所の人と話したり、公園で友達やその親兄弟に会ったり、学校では周辺の商店やスーパーなどに社会科見学をしたり取材をする学習科目などもある。

「地域との関わりなんて不要」と思うと、家庭は孤立していく。孤立すればするほど、助けを求める場所や、気の知れた友人知人もいなくなる。虐待やネグレクトの起きる場所の多くが、核家族の孤立した家庭であることは目を背けられないのだ。

そんな大きな問題だけでなくても、子どもの交友関係、友達の親や家庭がどんな状況であるかをある程度把握することは、自分の子どもとの関りを深めることにつながる。一緒に話し、一緒に考えるためには、やはり情報がないと困るのだ。

それを無理にでも広げる、孤立を防ぐのはPTAの役割でもあると私は考えている。ただ、本当に孤立している家庭はPTAや子供会、自治会などにも参加できる状況や精神状態ではないことも多い。問題は山積みだが、一般的な意識として「PTAなんて不要」というのは偏った意見ではないかと考えている。

積極的に活動できる、したい人が率先して運営し、できない人や厳しい状況の人をカバーする。それで何が悪いのか、私にはわからない。子どもに関わることを「めんどくさい」と思う感覚がある以上、誰もがおしつけ合いや責任逃れをしてしまうものだ。自分たちは孤立などしない、だから他の子どもは関係ない……。本当にそれでいいのだろうか。

学童期から考えたい「自分が子どもを大切にしたい」気持ちとは?

子どもは宝ものだ。子どもは尊い。 そんな言葉を、多くの人が口にする。とても軽く、とても簡単に言う。そして「そんな尊い命を犠牲にするなんて」「子どもがかわいそう」「子どもの人権が!」とニュースを見て騒ぐのだ。

休みの日、親がショッピングセンターで買い物している間、ベンチで子どもは携帯ゲームに夢中になっている。役員を率先してやる人を見て「変わり者」「暇人」と批判する。何事も「めんどくさい」「なんで親がそんなことをしなければいけないのか」と不平を言う。

それに消耗し、やる気を失う教師。

大人に、子どもは振り回されている

学校にお世話になっているから、その恩返しでPTAやボランティアをするのではない。すべて自分の子どもと、自分のためだ。自分が

子どもを大切にしたいから、めんどうなことを投げうっても構わない。休みなんか減ってもいい。苦手なこともやっていく。子どもたちのことを知りたいという気持ちから地域の子育てに参入してくる人は、出しゃばらずとも自然に、地域に貢献している。

宿題も、土日休日の親子の時間も、すべて同じだと思う。自分の貴重な時間を、子どものことになどかけられない。そういう気持ちが、無意識の中にあるのかもしれない。それほど強い気持ちがないと、PTAは気持ちよく回らない、学校運営の方向性も定まらない。そう思うと、ちょっと絶望的な気持ちになってしまうのも、また事実である。/おとこそだて.com編集部          

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