兄弟喧嘩でイライラする!対処法は「仲裁しすぎない」こと

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ケンカ

子育ての悩み、親のイライラ要因の中でも「兄弟喧嘩」はトップに食い込んでくるテーマです。

ささいなことで言い合いになったり、時には手が出たり、場合によっては取っ組み合いになったりすることもあります。

兄弟喧嘩が始まると「またか」とばかりに親の方も感情がメラメラ燃えて厳しく叱りたくなったり、ときにはイライラして爆発してしまうようなこともありますね。「もう勘弁して……」と心が折れそうになって、こっちが泣きたくなったりすることも。

この記事では、兄弟喧嘩でイライラするときの対処法や、感情のぶつかり合いをどう攻略していけばよいかを考えてみます。

兄弟喧嘩でイライラする……そんなときはあえて「仲裁しない」

まず基本的な考え方として「兄弟喧嘩は大事な学びである」ということを前提にしておくとよいです。

確かに泣いたり怒ったりという感情を目の当たりにすると、親自身も疲労し、困惑してイライラします。そこでその感情に振り回された状態で「仲裁」しようとすると、どうしてもバランスが偏ったり、大人が頭で考える正論をぶつけてしまうので、子どもたちの気持ちが落ち着かなくなるという悪循環に陥ることがあります。

兄弟喧嘩を放置していいの?

兄弟が親の目の前で喧嘩しているのに、放置していいなんて……。最初はほおっておくことを良いことだと思えないこともあるかもしれません。

しかし「放置」することと「無関心」であることは別だと考えてみるとよいのではないでしょうか。

親が子どもの喧嘩に入らず、ただただ起きていることを観察している状態です。ここで大事なのは「またいつものパターンだ」とか「兄が弟を泣かせている」「なんでそんなにささいなことで?」という親目線の思考や、フィルターを外してただただ静観するということなんです。

喧嘩がはじまると親の不安が刺激されるので感情や、お決まりの思考パターンが無意識に発動します。無意識に上の子ばかり叱ってしまうときや、喧嘩の理由がとてもくだらないように感じられてイライラするときは、無意識的にカッとなっていることが多いように私自身が感じています。

子どもが親に告げ口するのは「気持ちを聞いて欲しい」だけ

そうは言っても、子どもが親に「お兄ちゃんがぶった!」とか「弟が〇〇って言うからだ!」などと、親に泣きすがってくることもあります。

そうなると親は「何とかしなくちゃ」「どっちが悪いのか?」という判断、つまりジャッジをしなければいけないように感じてしまいます。しかし、どちらの意見にもそれなりに理由や言い分がある、だからこそ仲裁が難しかったり、説明に困ったりすることも多いはずなんですよね。

子どもが親に告げ口してくるときは「そうなんだね」「あなたはこう思ったんだね」というアサーティブが大事です。明らかにいじわるな行為や危険なことなど以外なら、そっかそっかと聞いている体で接するだけでも十分なのではないでしょうか。

兄弟喧嘩にイライラするときは「民主型」と「放任」をうまく使い分ける

兄弟喧嘩は単純に騒々しいというだけでなく、お互いの意見を聞いて仲裁するのが難しいために親も不安や戸惑いが起こりイライラするという仕組みであるように考えています。

そこで、民主型と放任型の子育てをうまく使い分けすることを私は実践しています。

子育ての民主型ってなに?

子どもの要望や意見を聞き、できるだけこたえ協力する。子ども自身に敬意をもって接し、時に厳しくルールを守らせるバランス型育児。

民主型とは民主主義の子育て。できる範囲で要望を聞き、寄り添いますが守るべきルールや危険回避などについては厳しく教えます。罰したり脅したりするのではなく、あくまでも教えるというスタンスです。

子どもの気持ちをただただ聴くだけでいい。あえて判定をしないというのも民主型です。ただし、親の主観で「やりすぎ・言い過ぎ・危険なこと」については厳しく注意するのも民主型の特徴です。

放任を加えるのはなぜか?

ある程度はほおっておき、自分達で折り合いをつけたり気持ちの切り替えをするのを待つことも、子どもたちにとっては大切な時間であると考えています。

それだけでなく、親の精神的負担を軽減するためにも「少しは目をつむる」「完璧な民主型はできない」ことを前提とするためにも、多少の放任を織り交ぜてうまく使い分けるとバランスがとれることもあります。このさじ加減は難しいところなのですが、なんでもすべて親が解決してあげることはできませんし、時には親自身に民主型育児ができないような状況もあるはずです。完璧な育児を目指そうとしないこと、できないときはできないとして自分自身を許すということが、いわば放任という形になるのではないかと考えています。

お互いの気持ちを聞き、反復するだけでいい

兄弟喧嘩が起こってどうにも収束しない、もしくは子どもが親に告げ口しにきたり泣きついてきたときは、気持ちを聞いて反復するだけで十分だと私は考えています。

「そっか~それで嫌だったんだね」

「お兄ちゃんは、〇〇だから怒りたくなったんだね」

「そっかそっか!」

本来はそれだけでいいのですが、ここで「こういう場面では叱らなくてはいけない」「こうなった原因をとことん掘り下げて解決策を……」と難しく考え過ぎたり、固定観念的に動いてしまうことも、私自身多々あります。

親が理屈や正論などで仲裁してしまうと、子どもたちからはさらに反論が飛び交い余計にややこしい事態になることも。もちろん、子どもの年齢によってはしっかりと話し合いをして解決すべきこともあると思いますが、よくある日常のささいな喧嘩はとにかくお互いの気持ちを聞くだけで、他に親がしてあげられることがあまりないことも多いです。

年齢による不平等にはある程度目をつむる

年齢差がある場合「そこはお兄ちゃん譲歩してあげてよ」なんて思うこともしばしばです。しかしここで上の子に「お兄ちゃんなんだから」というお決まりのセリフを使ってしまわないように、私はかなり注意しています。

というのも、上の子はそもそも日々色々な場面で「自分は上の子である」という自負を少なからずもちながら生きていると感じるからです。それは、場面によってではなく下の子がお腹にできたときからずっと続いています。

どうしても「ちょっとまっててね」が増え「あなたは自分でできるよね」という期待がありますし、それはしかたがないことです。年齢や立場によって、物理的にできることとできないことがあるので、差が生まれるのは当然なのですね。

ただし、それでも子どもから見ると「同じ子どもなのにずるい」という感覚はあるでしょう。責任感の強い子や繊細な子ほど「上の子らしくしよう」という努力や葛藤も日々あるはずだと感じています。その「嫉妬心」こそが喧嘩の要因になっていることも、もちろんあるでしょう。

だからこそ、喧嘩になったときやつらい感情が湧いたときくらいは、年齢や立場に関係なく「嫌だったよね」という気持ちを大事にしてあげるようにしたいのです。

兄弟喧嘩をカバーしきれないのも、イライラが募るのも当然

兄弟喧嘩をうまくおさめられない、上手に仲裁できないという「できない」という感覚も、親のストレス要因になることがあります

子どもは喧嘩するもの、兄弟喧嘩も学びのひとつ。そう頭ではわかっていても、それをうまくとり持てない自分の力不足を感じることも多々あります。喧嘩ばかりの毎日では、どうしたらいいの……と途方に暮れることもあります。

しかし、カバーしきれなくて当然である、イライラして当然であるということもまた念頭に置くようにしています。相手は生身の人間であり、まだまだ未熟な子どもです。大人でも喧嘩になることがあるわけですから、子ども同士、しかも最も近しい兄弟という関係であればなおのこと感情や身体のぶつかり合いがあって当然なのですね。

あくまでも親は「気持ちを聞く」ことに注力していけばいい。「危険なこと」「言ってはいけないこと」など最低限の注意でもよいと身構えることも大事だと感じています。私自身、自分のキャパシティってあまり大きくないなぁと痛感する毎日。それでも、こうやって関心を寄せたり、どうしたらいいかと悩んで試行錯誤することに意味があるのです。子育ての方法論に正解はありませんから、気楽に、大らかに考えるように心がけています。

 

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