HSCの息子に「育て方わからなくてごめんね」と話した日

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HSC

先日、息子たちと海に行きました。海と言ってもレジャーではなくて、コロナウィルス感染拡大防止のための休校で暇を持て余し、自宅から徒歩5分の海が今の公園代わりとなっているんです。

世間がこんな騒動になっているので、私の仕事も一旦休業中。息子たちと3人の時間が有り余る毎日を、疲れつつもほどよく楽しんでいます。

そこで先日海で息子に「今までごめんね」という話をしたことについて、ちょっと書いておこうと思います。

「お母さん、子どもの育て方がわからなくてごめんね」

上の息子はHSCであり、今年小学校5年生になります。

私は20歳で息子を産みましたが、本当に若かったし、親子関係も悪かったりして、孤立感たっぷりの不安と共にありました。今の自分からすると、あまりよい子育てだったとは言えません。

もちろん、真剣ではありましたが、なんて頭の固い育児をしてきたんだろうと思います。

周囲の情報や、人の意見に翻弄され「こうでなければいけない」「母親としてこうあるべきだ」「この年代の子どもはこうあるべき」というようなべき思考の塊でした。

息子は、HSS型HSPだと思っています。とても知的好奇心旺盛で、興味のあることや好きなことがいっぱい。人懐っこくて、ひとりでどんどん先を歩いて行ってしまうような子です。でも、それに引き換え私は頭の固い母親でした。それに加えて、「私は母親のようにはならない」という意地のようなものも強かったです。母とは真逆の人間になろうとしていたところもあって、そのせいで息子にはずいぶん窮屈な思いをさせたのではないかと思うのです。

「僕は結婚しない」

息子は、まだ小学校5年生ですが、何年も前から「僕は結婚はしない」と言っていました。

その理由は、家族を養うことの大変さであったり、彼の中の父親への敬意みたいなものが大きいせいで「自分も、こんな男にならなくてはいけない」というプレッシャーもあるようなんですね。

でも、それだけではなくて「家族の中の人間関係の難しさ」に気づいているということがわかりました。

「家族ってさ、好き同士だけどすごく大変じゃん。言い合いにもなるし、言いたいことが伝わらなかったりするし、なんかごたごたするでしょ。そういうのが難しいなって思うから。」

正直言って、とてもショックでした。私は、自分の生まれ育った家庭に比べたら、とても穏やかで、優しくて、いい家族だと思っていました。夫も、自分の実家に比べたらとても温かい家族だと思っています。

でも、息子はそうじゃないんですね。確かに、世代ごとに見れば確実に変わっていて、前進していると思います。どう考えても、いい方向に行っていると思うし、この確信は譲れません。でも「今」しか知らない息子にとって、家族という人間関係はとても複雑で、苦しいことも多いのだということがはっきりとわかったのです。親子関係も兄弟関係も、彼の中ではつらいことがたくさんあるのかもしれません。

もちろん苦しいことだけではないのだと思いますが、彼が今家族の中で感じるのは、そういうことなんです。それをしっかり受け止めなければいけないと感じました。

「お母さん、うるさくて厳しくて嫌なお母さんだった。ごめんね。育て方わからなくてごめんね」

私は無意識に、本音で謝っていました。すると息子は、私の先輩かのようにこう言うのです。

 

「それはさ、しょうがないよ。だって育てたことなかったんだもん。でも、自分がされて嫌だったことはしないようにしようとか、思ってたでしょ?」

 

その通りでした。この子はすべてを知ってるんだなって、思いました。教えることなんか何もない。

これはHSCだからというわけではないのかもしれないし、HSCだからこういうものの見方をするのかもしれません。しかし、子どもが今、何気なく言うことや漠然と思うことには、とても重要なメッセージと社会の縮図があるのは確かだと感じました。

HSCの視点は、大人の想像をはるかに超えている

このことから見て、息子はいったいいくつの視点で物事を見ているのだろう?と気になりました。

まず自分という長男の視点があり、そして母親である私の気持ちという視点もある。そして、自分がもし将来結婚したら、夫であり父親であるという大役を担わなければいけないという大人の男性の視点もあるわけです。そして、非常に面倒見のいい子なので、弟の目線も持っているようです。

ただ、それがそれぞれ息子自身の思考のフィルターにかかっているので、もちろん正確に人の立場や気持ちを理解しているというわけではありません。常に人の立場目線をもっているわけでもなく、考えてみれば立てるという感じでもあると思います。

ただ、小学生でも「見ようとしている」とか「想像している」のは確かなんですね。教えたわけでもない、生まれ持ったものだとしたら、さぞかし多大なエネルギーを周囲の人に注ぎながら生きているのだろうということがわかります。

お互いのことを知り尽くし、考えながら暮らしている家族であっても、彼にとってはごたごたして難しいという体感をもってしまう。ということは、それが学校という大きな集団になれば、さぞ消耗することだろうと思います。

HSCがみんなこのような思考をするわけではないと思います。でも、私は息子との話をきっかけに、私も幼いころは同じようなことを考えていたことを思い出しました。

ひとりで暮らしたかった小学校時代の私

そういわれてみれば……と思い出すのは、自分の小学校時代のことです。私も息子と同じように「お嫁さんになりたい」「お母さんになりたい」という願望はまったくありませんでした。

でも「ひとりで暮らしたい」という希望をもっていたことは今でも覚えています。

子どもの頃、ひとりで暮らす風景を想像することがよくありました。

ひとりで暮らしたい、というのは私も同じように、家族関係のごたごたが嫌だったからでしょう。私はひとりで留守番をする時間が長かったのですが、寂しいと思ったことがありませんでした。両親がいない方が、安心できたし、私は早く親元を離れたほうがいいだろうということはよく考えていました。

私と息子では考えも背景もまったく違いますが、それでもやはり「ひとり」にこだわる部分がとても似ているなぁと思うのですね。でも、私は紆余曲折あり家族4人暮らしで本当に良かったと思っていいます。どんな生き方をしてもいいけれど、家族がいてよかったという私の思いは事実として伝えていけたらいいなぁと思っています。

母親が息子に「教える」ことは、あまりないのかもしれない

10歳からは親子の関わり方を大きく見直すべきとされます。もう「教える」ようなことはほとんどなく、あとは見守るしかないのでしょう。それを本当に痛感したできごとのひとつでした。

こんなにもいろいろなことがわかっている。わかっているだけでなく、考え、工夫し、気に病みながら生活している部分があるのだろうと思うのですね。

決してそれを悪くネガティブに捉えたり、自分の育て方を悲観しているわけではありません。子どもは、大人が何かを言葉であれこれ教えなくても、見て、感じて学んでいるのだろうということがはっきり分かったできごとでした。

私は彼に何もしてやれることはないのです。自覚できる自分の過ちを反省して、謝ること。そして、私は家族をもって幸せだということを、ただここにある事実として勝手に語っていくことしかできないなぁと、大人の無力さを痛感するばかり。大人は子供にとって無力であると自覚するところから、本当の子育てが始まるような気持ちにさえなっています。

 

 

 

 

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