だらしないが心は真面目。小学校高学年男子の「なまけ」にあきれてますか?

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小学生

小学校中学年ごろから高学年にかけて、男の子は特に「だらしなさ」「なまけ」といったことが目立つようになります。男の子ってそんなもん、という感覚があっても、やっぱり毎日の学校生活や私生活のことで親子の衝突が増え始めるころなのではないでしょうか。

 

ある程度は目をつむっている

ガミガミと言わないように注意している

それでも、やっぱり日々の忙しい生活の中で高学年男子のすべてを把握して、理想通りにさせることは難しいですよね。

この記事では、なぜ高学年男子の子供とのやりとりが上手くいかないのか、ということを実体験から深く掘り下げていきます。

 

小学校高学年はいちばん「だらしなさ」が目立つとき

小学校高学年は、いちばん「だらしなさ」が目立つときです。その理由は「男子だから」でも「不真面目だから」でもありません。

親は「手が離れた」と油断する時期

小学校生活にも慣れ始める、中学年~高学年にかけては、親も子供に対してある程度「手が離れてきた」という感覚があるのではないでしょうか。朝早くに登校し、帰宅するのは15時以降。6時間授業も始まり、どんどん親子の接触時間は減っていきます。

自分ひとりで時間をつぶすこともできるようになり、親の体力的な負担はどんどん減っていきます。

するとどうしても、親は油断するのです。また、男の子の場合あまりにも母親が手を焼いてああだこうだと口を出せば、反抗されます。多少はだらしなさや怠けの様子があっても「そんなものだろう」と目をつぶってしまう部分はあるはずなんですね。

しかし、まだまだ10歳前後の子供が『自分で計画を立て、決められたことを守り、規則正しく生活する』ということは難しいのではないでしょうか。

筆者も、高学年になってまで宿題やランドセルのチェックをするのは、もう必要ないのではないか。そして、もし自分の怠慢で先生に叱られるようなことがあっても、それも子供にとってひとつの経験であり、学習だとも思っていました。

子供は「手の抜き方」を覚え、発揮する時期

一方、子供の方は高学年になり、自由に行動できる範囲が増えたり、交友関係が広がったり、親の目が行き届かない時間が増えていくことに気がつきます。子供の自主性に任せて……と思っている親の場合、特に「ごまかし」や「嘘」といった一見悪いことも、上手く使いこなすようになるのです。

今までは、学校でもうるさく言われてきたことが、高学年にもなるとそこまで注意されなくなることも。さらに、活動や勉強の難易度が上がっていくことで、問題を抱える生徒が増え始めます。すると先生の手もだんだんと行き届かなくなり「そこそこできているけど、だらしないところも多い」という生徒の抜け道ができていくわけですね。

目立ってはいないけれど、できていないことはたくさんある……という状態になります。

勉強や学校の活動に「目的」を見出しにくい時期

そして、学校の勉強や活動にはっきりとした目的を見出しにくいときでもあります。

まだまだ進学や将来の夢といった目標もないまま、どんどん勉強の難易度が上がり、活動の量や幅が増えていきます。習い事の面でも、今までの「遊びの延長」ではなく、中学の部活に向けての準備や、試合・大会といったハードルも出てくるころです。

「なぜやるのか?」がわからないまま、やることだけが増えていくということも多い時期。そのフラストレーションがだらしなさや怠けといった形で表に現れるのは当然のことではないでしょうか。

できていないことが、どうしていけないのか?

現代では「叱らない子育て」「子供の自主性に任せて」「できないことではなく、できていることに目を向ける」という教育方針がよいとされる風潮があります。しかし、本当にそれだけでいいのか? というとはっきり「はい」と私は言えません。

「できていない」ということに対していちばん罪悪感をもっているのは、子供本人だからです。

 

たとえば、親が「宿題はやったの?」と聞けば「やったよ」とか「今日は宿題がない」など嘘を言います。本当はあるのに、やりたくないから嘘をつくわけですね。私たち親は「そうなんだ」と納得するか、怪しいと感じても「子供の自己責任」として目をつむったりします。

しかし、子供は自分のできていないことに対しての罪悪感と、親に嘘をついた罪悪感で、2重の罪悪感に駆られていることになります。

特に、根が真面目な子や繊細な子は「本質」を理解する力があります。怠けているのは自分なのに、それを隠すためにごまかしたりうそをついたりと知恵を働かせていることを、本人はわかっています。親に対してだけでなく、学校の先生に対しても同じです。

それが積もり積もると「学校に行きたくない」「勉強が嫌だ」「やる気が起きない」「ゲームだけしていたい」という風になっていくこともあるのです。

できていないことが悪いのではありません。できなくなっても当然だけど、子供自身がその「できていない自分」を責め、逃げたくなることがあるのです。

だからといって「やらなくてもいいよ」「だらしがないままでもいいよ」というのは、ちょっと違うと感じています。

中学年~高学年になり「自分のだらしなさ」から学校へ行き渋る息子

筆者自身が「忙しさ」にかまけて、子供の学校生活や宿題などの状況をみてあげることができないとき、息子は自分のだらしなさや怠けを隠してしまいます。

 

隠したりごまかしたりするのは子供にはよくあることです。しかし、筆者の息子の場合そのことが根本的な原因で「学校に行きたくない」と言うことが多かったということに気がつきました。

原因不明の体調不良が立て続けにあり、朝の登校時間も「〇〇くん、登校時間すぎているのに道端で木の枝で遊んでいたよ、どうしたんだろうね?」と他のお母さんから報告をもらうこともありました。学校に行きたくないということは今までにもたくさんあったのですが、私はそのたびに何か原因があるのかと考え続け「これだ!」「やっぱりちがう、これだ!」「それもちがった、これか?」を繰り返したのです。

しかし、「バッチリできたとき」に、学校に行くのを楽しみにするような素振りをみせることがありました。

私や父親がみっちり勉強を見て、宿題を一緒にやって、ランドセルの中の要らないプリントやゴミを整理し……そういうことを一緒にやったときは、次の日の朝のやる気がまったく違うのです。

もちろん、真面目過ぎる性格や、周囲のことに気を配りすぎる気質ではあるのですが、だからこそ「できていない自分」を受け入れられないという部分もあるのだと、感じています。

小学校高学年のだらしない男子に、親は何をしたらいいの?

子供は確かに、ありのままでいい存在です。そのままの姿でいいはずです。でもだからといって、だらしなさや怠けからくる自責の念や逃げの姿勢はなんとかしてあげたいのが親心です。親ができることは限られていますから、ここまで書いたこと踏まえた上で私たちがしてあげられることとは、どんなことなのでしょうか。

①攻撃する言葉や批判の言葉を乱用しない

 

いちばんやってはいけないことは「攻撃」「批判」です。

  • これもあれもできてない!
  • なんにもできてない!
  • なにをやってるのよ!
  • 情けない!
  • 恥ずかしい!

このように「できていないこと」を攻撃するのだけは、抑えましょう。こんなにやっていないこと、怠けていることがあるのに、何を平然とゲームをしているのか……そう思う気持ちは当然です。でも、そうなってしまうのが子供なんです。

感情的になることはありますが、子供の人格否定や、感情に任せて暴言を吐くことだけはしたくないですね。

②子供に全責任を追わせない

ずっと「子供の自主性に任せて」の姿勢で目をつぶってきたのに、できていないことややっていないことが発覚したとたんに子供に全責任を負わせてしまうことがあります。

たとえ嘘やごまかしがあったとしても、必要以上に攻め立てたり、知らないフリするのは子供にとって残酷です。高学年とはいえ、まだまだ子供ですから、何も言わなかった親と、だらしなくなってしまった子供、両方に同じ分だけ責任があると考えています。

③「叱る」ことと「寄り添うこと」のメリハリをつける

小学校高学年になってくると、知恵も働きますし、反抗的な態度も見せます。そのときに、寄り添ってばかりだと子供は当然、親を甘く見てのらりくらりと交わしたり、親の批判に話をすり替えたりすることもあります。頭の賢い子ほど、どういうことができてしまうところがあります。それは、親への甘えや信頼の一種ですから悪いことではありません。(他人に対してやっているのは、問題です)

そこで「叱る」という姿勢も大事になります。決して攻撃するのではなく、嘘をついたことや、怠けたことをごまかすこと、だらしないまま生活することでどんなデメリットが起こるかを、論理的に説明しなければなりません。厳しい口調、真剣な顔で、強く言う。これはけっして悪いことではなく、必要な『父性』です。

母親も、時にはガツンと言うべきことがありますし、母親で無理なら父親の力を借りてください。その場合、夫婦間できちんとした事実の伝達と意思疎通が図れていることが理想です。

④周囲の大人とのコミュニケーションをとる

学校の担任の先生や、周囲の保護者などとある程度のコミュニケーションをとることが大事だと考えています。たとえば、どうしても家庭の事情で忙しく子供のことを把握しきる時間が足りない場合もありますよね。

勉強をみてあげることや、学校の提出書類の管理、子供の学校での様子……把握しきれないのが現状なんです。そこで、それをしっかり担任の先生に伝えるというのも一つの方法です。

「我が家はこういった事情で、子供の監督に手が行き届いていない部分がありますので、ぜひともサポートをお願いしたいです」「ご承知おきください」というオープンな姿勢はとても大事だと感じます。

「うちはできています!」「うちの家庭はしっかりしています!」「完璧です!」と、見せかけても絶対に先生にはわかってしまいますし、見栄を張る意味はありません。

そして、男の子の場合は親に全てを話さないことも多いため、周囲の保護者からの情報も子供のことを知る大きな手掛かりになります。もちろん、できていないことだけでなく「こんなことをしてくれたよ」「こんな風に活躍しているらしいよ」といった嬉しい情報も聞くことができて、親子のコミュニケーションのきっかけになります。

現代の大人は忙しすぎる……親に全責任があるわけでもない

以前、仕事で交流のある臨床心理士の方が「大人が忙しすぎることで、子供たちの心に向き合う時間がない」ということをおっしゃっていました。核家族化やシングルマザーの増加など、現代の親子関係は「親が忙しくて子供としっかり向き合う時間が少ない」という問題点は否めません。

現代は、母親も当たり前に仕事をもっている時代で私もそのひとりです。確かに、母親も社会的な立場をもって活躍しながら子育てするのは非常に大事なのですが、その反面子供の管理にしわ寄せがくることは必ずあると思っています。

状況もひとりひとりちがいます。我が家は核家族の共働き、実家はなしという現代の家庭です。さらに、女手一つで子供を育てている家庭、兄弟に病気や障害などがあり、他の子供に充てる時間がない家庭、ダブルケアで子育てと介護の負担が一度にきている家庭、本当にさまざまな家庭があります。

原因不明の不登校が増えているのは、もしかしたらこういった「大人の忙しさ」も要因のひとつなのではないか、と感じています。親が悪いのではありません。そういう社会なのだ……ということすら、感じてしまうのです。

小学校高学年はふんばりどき!できる範囲で、できるだけのサポートを

私自身も子供の頃、小学校4年生~5年生の頃がいちばん覇気のない時期でした。親とのコミュニケーションが減り、監督が行き届かないことは子供の目に見えない部分に影響を与えることがあります。

完璧は無理ですし、男の子は多少だらしなくてもいいのです。大人になって必要に駆られたらできるようになることもあります。しかし、「できていないこと」をいちばん自覚しているのは子供本人です。

そこを親が「高学年なんだからできるでしょ!」叱り飛ばして攻撃するのではなく「一緒に、できる範囲でやっていこうよ」という姿勢で横にいてあげられると、いちばんよいのではないでしょうか。/おとこそだて.com編集部

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