【自閉症の子育て】すべてを障害と絡めて考えていませんか?我が子の安心は「ママ」です。

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体験談

私には自閉症スペクトラムと診断された4歳の息子がいます。

  • 度合いは比較的「軽度」と言われています
  • 目は合いますが、意味のある言葉はほとんど出ません(ほぼ喃語です)
  • 対人関係のコミュニケーションがうまく取れない子です
  • 頑固なこだわり、英語への執着があります
  • ほんの少しの予想外の出来事で癇癪を起こします(おやつがひとつ落ちた、車のおもちゃの順番が違うなど)
  • 自分で30分以上外を歩くことができません(抱っこです)

 

通常の保育園に通いながら、療育を受けています。わが子が自閉症だということを受け止める中で、よく思うことがあるのです。それは、「自閉症だと診断されたことで、なんでもかんでも障害と絡ませて考えてはいけないな」ということなんです。

自閉症じゃなくても、なんらかの発達面で診断を受けた人にとっては、その日から毎日が変わってしまった…という人はたくさんいると思います。でも、そのことで日常のあらゆることを「障害があるから…」と思ってしまうのは、とてももったいないことだと思うのです。

自閉症の子育ては大変だけど、全部が障害ではない

ある程度年齢の大きなお子さんだとまた違うのだと思いますが、私と同じように、就学前の子供が自閉症と診断されると、「できないこと」「人と違うと感じること」のそのすべてが、「やっぱり障害があるから…」と思ってしまいやすい気がしています。

しかし、まだ幼い子供はある程度「できなくて当たり前」であって、個性の範囲内であることも多いのに、ママ自身が心を追い込んで、毎日をしんどくさせてしまっているのではないかと感じています。

自閉症の子供は、見ている世界が違うだけ

たとえば青い空を見て、他の子供が「キレイなお空だね」と言っているとしても、自閉症の子供は同じように「キレイなお空だ」とは思っていないかもしれません。だからといって、それは間違っているのでしょうか。

自閉症の子供にとっては、キレイなお空よりも、そこに飛んでいる鳥の形が気になっているかもしれません。そっちのほうが楽しいのです。それは悪い事なのでしょうか。

大人でも、みんなと同じものを見ていても全く違う感想を持つのは当たり前のことです。そこで、「ねえ、どうしてみんなはお空を見ているのにあなたは違うの?」と思うより、「あなたは他の子には見えないものが見えているのね。かっこいいね」と言ってあげられるほうが、ずっといい気がしませんか。

「大人になると普通の事」が「子供のうちからそうだから目立つ」ということなんです。

男の子が「じっとできない」のは大体が同じ

3歳~5歳頃の男の子って、障害があってもなくても、割とじっとできないものです。これは園に通っているとかいないとか、そういったこともほとんど関係ありません。診断される前は「男の子はやんちゃね」で済んでいた気持ちが、診断名がつくことで敏感なものに変わっていませんか?

同じ月齢の子を見るたびに、「普通はこれもできるのに」「お話もできるはずなのに」と悲しい気持ちになることってありますよね。「障害だ」とわかったとたん、周りの「できていること」ばかりが目について、自分の子供はかわいくて大切なはずなのに、心のどこかで比べてしまう気持ち…。

その気持ちすごくわかります。お母さんは何も悪くありません。

でも、じっとできない、話が聞けないのは、障害があるとかないとか言うだけの問題ではなく、健常発達の子でも五万といます。

どこからが障害によるもので、どこまでは他と変わらない部分なのか、そこを混同しないようにしましょう。必要以上に、障害だからと思い過ぎないでいることって、とても大切なのではないかと思います。

他と違うことを悲観せず、子供の世界を一緒に見る

自閉症の子供は、確かにユニークな感性を持っています。そこに関して、どれだけ「一般的な普通と同じように」と思ったところで、全然通用しないんですね。

本人にとっては、「人と違う」なんて思ってもいないし、わかりません。

ただただ自分の大好きな世界で過ごしていたい、普通なんて関係ないと言わんばかりの個性を持って生きているんだと思います。

だから、世間の人と同じにさせるのではなく、その子の見ている世界を、一緒に見てあげてほしいのです。

「障害児だから、他と違うんだ」「だから、この先も苦労するんだ」という悲観は、乗り越えることができるととても楽になります。私は、この子の見ている世界、生きている世界を見てあげられないこと、知ってあげられないことが、とても悔しい。

できるなら、一緒に同じ世界を見て、「こんな風に見えているんだね」「確かにこれは面白いね」「これは怖いね」と心から言ってあげたいです。でも、それは一生叶いません。

でもせめて、できる限り見てみたい、知りたいと思っています。

もはやもう私にとって、自閉症は「障害」ではありません。わが子の持つ世界観だと捉えています。

自閉症でも確実に成長している

心を閉ざしてなんかいない

自閉症は主に「対人関係のコミュニケーション」において日常に支障が出る障害と言われています。そのことで、世間のイメージでは「自分の殻に閉じこもっている」とか、「自分以外の人に興味がない」と思っている人もいるかもしれません。

しかし、自閉症だからと言って、心を閉ざしてなんかいないのです。

たとえばいきなり「ギターのコードを見て弾いてください」と言われても弾けないように、自閉症の子供は、「みんなお友達だから仲良くしようね」と問答無用で言われてもそれができないのです。

だからといって他人が嫌いなわけでも家族が嫌いなわけでもありません。「安心できないこと」「予測のつかないこと」が怖くて、「大丈夫なんだ」と思えれば、とても純粋に笑ったり、喜んだりします。

障害があってもなくても、こうした不安な気持ちは、誰でも抱えているものではありませんか?

「障害だ」ということを前提に見るから、まるで不安な感情が特別なもののように強く思うだけで、1人の人間としては、ごく当たり前の感情ではないでしょうか。

受け答えできなくてもちゃんと聞いている

自閉症の子供でも、お母さん、お父さんの言葉はちゃんと聞いています。伝わっています。それでも、時々は無性にやりきれない気持ちになります。

「声に出して、ママ大好きって言ってくれないかな」「何が悲しいのか、何がしたいのか、言葉で伝えてくれたらどんなにいいだろう」「ただ、この子と、他愛もないお喋りをしてみたい」……。

当たり前のことがどうしてできないのか、叶わないのかと、涙が出そうになることもあります。

けれど、わが子は我が子でしかありません。たとえ会話ができなかろうと、全くこちらの言っている事に耳を傾けていなかろうと、それでも伝わっていると信じて、「愛してるよ」と言い続けます。

「言葉の意味」は分かっていないかもしれません。でも、その時の私の声の温度感や、表情はきっと伝わっている。

だから、ぎゅっと抱きしめれば抱きしめ返してくれるのだろうと思っています。それがきっと、未来のこの子の言葉に変わると信じて。

伝わらないこと、他人と違うこと、できないこと。それを「障害」と呼ぶのなら、私だって障害があるのかもしれません。自分も、不器用な人間だからです。でも、それでいいのです。私は私なのだから。

子供にとって誰よりも「安心」なのは、お母さんとお父さんの存在

タイトルにあるように「なんでも障害と絡ませて考えていませんか?」ということ。これは、そう思うことで、本当は一番安心できる存在であるはずのお母さんやお父さんが、「不安な顔」になってしまうと思ったからなのです。

確かに簡単ではありませんが、自閉症の子の一番のよりどころはやっぱり家族なんだと思うから、誰よりも堂々と、わが子を誇れる親でありたいと思うのです。「大丈夫だよ。ここにいれば安心だよ。そのままでいいんだよ」そんな風に声をかけてあげたいものです。

親だって人間です。先の事を考えて不安に駆られたり、時には疲れ果てることもあるかもしれません。でも、いつも胸に「この子の安心は私なんだ」ということを刻んでいます。

「そんな風に思えたら苦労しない」と思う人もいるかもしれませんが、乗り越えるしかないのです。

自閉症の子育ては、一進一退、時々前進。それでいい

何度も心が弱くなっては、また原点に帰る。

それを繰り返しながら、自閉症や発達障害を持つ子供の育児を、みんなしているのではないかなと感じています。常に前向き、常に明るくなんて無理でもいいのです。

一進一退。ちょっと進んで、また戻りそうになって。それでも、一歩ずつ子供と共に歩んでいきましょう。

「普通」や「当たり前」をかなぐり捨てるのには、時間がかかります。でも、完璧な人などこの世にはいないということ。障害があってもなくても、人を殺めたり傷つける人がこの世にはいること。障害があっても、笑顔を見せてくれる我が子がいること。

深く深く考えれば、障害なんて関係ないような気さえしてくるのです。

障害があるから大変ではなく、障害があっても我が子の世界に触れてあげたいという気持ちを忘れなければ、きっと子供の心に届いているはずです。人よりも少し難しい人生を歩むことになった我が子を、「勇敢だ」と思える日がくるまで。/おとこそだて.com編集部

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